【スタッフの映画話】『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』 - 小田原シネマ館 | ODAWARA CINEMA
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【スタッフの映画話】『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』

当館スタッフが思うことを綴るシネマレター、今回はチャンドラー・レヴァック監督作『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』についての一篇です。レヴァック監督は本作で長編デビュー。自伝的な内容を、自身の性別とは異なる青年男子に仮託して描いています。

〈痛くて愛しい映画オタク!〉

——「あなたは自分みたいなオタクが、世界の中心だと信じてる」

主人公ローレンスがアルバイト先であるレンタルビデオ店の施錠を忘れて、店長アラナとの信頼に傷が入る場面。引用したのは、そこでアラナがローレンスに放った言葉です。

映画が好きで好きで、映画を見ていない日は人生の一部が欠けたように感じるとまで語る主人公。しかし、映画の話となれば自分の好きな作品について捲し立て、不注意な言動で他者を見下し傷つけてしまう。なぜなら、映画を一番理解しているのは自分だと思っているから!

映画に限らずとも、何かに熱中したことのある人なら思い当たる節があるのではないでしょうか。あなたも私も皆々みんな、ローレンスだったかもしれません……。何かを理解しきることなど、誰にとっても不可能であるにかかわらず。

映画を観るとき、基本的に作品と自分は一対一の関係です。観ていると、自分も何か大きな力を持ったような幻想に包まれることがあります。また、気に入った作品を見つけたとき、世界で自分だけがそれを知っているような特別な気持ちになることも。

〈レンタルビデオというメディア〉

本作では2000年代のレンタルビデオ最盛期が描かれますが、インターネット上での配信が浸透してきた現代では、映画を一人きりで観る方法がとても身近になってしまいました。暗い部屋に一人閉じこもり、誰も介さず1日に数本の作品を観ることができてしまう。

映画と観客の関係は一対一と述べましたが、映画館で観るのと自室で画面をクリックして観るのとでは大きく違うのです。

レンタルビデオという形式もまた映画館と似ていて、映画館やビデオ屋へ行くこと自体が、ある種コミュニティへの帰属のようなものを感じさせてくれます。本作においては、ビデオ屋の客と店員の会話が場面を彩りました。アルゴリズムにおすすめされるのと、ビデオ屋でたまたま目についたものを手に取るというのも全く別物。作品を自分の手で棚から選ぶところも含めて、一つの体験です。

配信が普及する時代に依然として映画館という鑑賞方法が残っているのには、やはり意味があるのだと思います。メディアや個人の興味の多様化によって、本当の意味で他者と体験を共有することが希薄になってきた現代でこそ、映画館は新しい価値を生み出すことができるかもしれません。もう二度と会わないかもしれない人と、同じ時間に同じ空間で一つのものを観ている、というのは改めて考えると不思議です。

〈映画を通じて・・〉

ローレンスのように、孤独や不安や無力から自分を守る唯一の術が映画だという人も少なくないでしょう。映画鑑賞はその密な求心力ゆえに、個人が殻に籠ることをどこまででも可能にしてしまいます。

けれども、映画は制作から観客の元に届くまで、たくさんの人によって成り立っている。そしてまた、新たに人と人とを繋げていくことができる。というのが、本作の大きなテーマなのではないでしょうか。そしてここには、ローレンスが同じクラスの女生徒を排除しようとしたような、映画界にあるホモソーシャル的構造への確かな批判も絡められています。

本作の最終場面において、ローレンスは寮の自室の壁に『マグノリアの花たち』のポスターを貼っていますね。あれだけ自分の好きな映画を語っていた青年が、他者に勧められた映画のポスターを飾っている。そして、それをきっかけに同級生との会話が生まれる。

本作のポスターはピザを食べながらぼんやりと何かを見つめるローレンスの姿を切り取っていますが、本編を観ればその視線の先にあるのはアラナだとわかります。そこには、映画を通じて自分が作者や登場人物と対話するように、映画が他者や社会との対話を切り開いてくれることへの希望が込められていると思うのです。

『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』2/27(木)まで上映中!

当館では上映終了間近ですが、ぜひ劇場にてローレンスの成長を見届けてください。